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仏教の知恵を日常に活かすー兵庫県知事はなぜ辞職しない?

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私は市販の本やyoutubeなどで仏教を独学しています。

もともと実家が曹洞宗の檀家ですが、熱心な仏教徒ではありませんでした。

ところが30代以降で、仕事が上手く進まない、人間関係の悩み、経済的な悩みなど、生きることに行き詰まることが多くなった時、「仏教の知恵」に助けられたことがしばしばありました。

わたしにとって仏教は、死後の魂の救済よりも、「この俗世を生きるための知恵を授けてくれる」きわめて実用的な知恵の宝庫です。

私が仏教を学ぶためほぼ毎日視聴しているyoutubeをご紹介したいと思います。

菊谷隆太さんのYouTubeチャンネル(仏教に学ぶ幸福論 by 菊谷隆太 – YouTube)になります。

このチャンネルでは、仏教の中でも親鸞聖人の教えを基にした浄土真宗の教義や、人生の悩みに対する仏教的な解釈を分かりやすく解説しています。

特に、仏教になじみのない初心者にも理解しやすい内容が特徴で、浄土真宗の基本的な考え方や信仰の重要性について、動画を通して深く学ぶことができます。

信仰の実践を通じて、人生の困難や疑問に向き合うためのアドバイスや知識を提供しています。

今回は、「パワハラ問題で失職した兵庫県の斎藤知事」を題材にした動画をご紹介します。

ぜひ動画をご覧いただきたいのですが、その前に動画の内容を簡単にまとめていますので、まず以下の文章をお読みいただければと思います。

 

自分の行動が正義だと信じている

動画では、兵庫県知事がパワハラ疑惑で多くの批判を受けながらも辞職しない理由について、「自分が正しいと信じ込んでいる可能性」を中心に論じています。

知事は、自分の行動が「県民のため」であり、正当であると強く信じているため、辞職を拒んでいるのではないかという考えです。

動画中では、知事の発言に「県民のために」というフレーズが繰り返し登場しており、彼はあくまで自分の行動が正義であり、県民の利益のために行っていると信じていると指摘されています。

彼自身、この信念があるために、パワハラ問題が公にされている中でも、堂々と振る舞い、辞職に対する抵抗感を持ち続けていると解説されています。

仏教の教えに照らして、このような自己過信は、権力者が陥りやすい典型的な罠であると述べられています。

権力の座に長く座り続け、多くの人々に支持されると、次第に自分の行動や判断が見えなくなり、客観的な視点を失うことがよくあります。

権力を持つことで自己の判断が絶対的に正しいと誤解し、他者の批判や反対意見に耳を傾けなくなる現象です。

これは過去の独裁者カダフィ大佐にも見られたケースで、彼が国民の反対運動にもかかわらず「国民は私を愛している」と発言したことを引き合いに出しています。

カダフィが自身の人気を誤認し、実際の状況を把握できなかったように、兵庫県知事もまた、自分が正しいと信じることで周囲の批判を無視している可能性があると述べています。

このような状況に陥る背景には、仏教でいう「名誉欲」や「認を好む心」があると指摘されています。

人間は他者から尊敬されたい、認められたいという欲望を持っており、その欲望が過剰になると、自分の行動に対する批判に耳を貸さなくなり、結果として権力を握り続けようとするのです。

こうした状況は仏教においても警戒すべきものであり、自らの行いを冷静に見つめ直すことが重要であるとしています。

 

職を失うことが人生の終わりだと思っている

次に、知事が「職を失うことが人生の終わりだ」と考えている可能性が議論されています。

特に、これまで順調に出世してきたエリートほど、失敗や挫折を恐れる傾向が強いと指摘されています。

知事は東京大学を卒業し、総務省を経て県知事というエリートコースを歩んできた人物です。

このような背景を持つ人は、地位を失うことが自分の人生の終わりだと感じやすく、そのために辞職をためらう傾向があります。

過去に金銭スキャンダルや愛人問題で追い詰められた国会議員が自死したケースを例に挙げ、こうしたエリート層が自分の地位に強く執着し、それを失うことを恐れる様子が描かれています。

挫折を経験していない人ほど、一度地位を失った場合、その後の人生をどう進めればよいか分からなくなり、極度の恐怖に陥ることがあります。

仏教では、このような「地位への執着」は無意味であり、地位や名誉を失っても、人生には他の喜びや幸せがあることが強調されています。

これが仏教の教えに反する執着心であり、その執着から解放されることで、より深い幸福を見つけることができると説いています。

さらに、エリート層に多いこの現象を解決するためには、仏教的な視点を取り入れ、現状への執着を手放すことが必要であるとしています。

仏教では、「自己中心的な執着」は煩悩の一種であり、それが人間の苦しみを生み出す原因であるとされています。

この視点から、兵庫県知事もまた、自分の地位に執着せず、新しい人生の道を見つけることで、より自由で幸福な生き方が可能であると述べられています。

 

まとめ

この動画では、兵庫県知事がパワハラ疑惑で辞職しない理由について、仏教の教えを通して深く考察しています。

第一に、知事が自分の行動が正しいと信じ込んでいることが辞職を拒む大きな要因であると考えられています。

これは、権力者が陥りやすい自己過信の典型例であり、周囲の批判や反対意見に耳を貸さなくなる危険性があります。

仏教では、このような「認を好む心」や「名誉欲」を警戒すべきとし、自己を見つめ直すことが重要だと教えています。

また、第二に、知事が自分の地位を失うことを過度に恐れている可能性も指摘されています。

このような執着は、仏教的には「無意味な執着心」であり、それが苦しみの原因となります。

仏教の教えでは、地位や名誉に縛られることなく、自由に生きることが真の幸福への道であるとされています。

最後に動画では、仏教の視点から「執着を手放すこと」の重要性が説かれています。

たとえ地位を失っても、他に多くの喜びや幸せが存在し、それを見つけることができるとされています。

知事が今後地位を失ったとしても、新しい仕事や人生の道を見つけ、そこでの経験を通して成長できる可能性があることを強調しています。

このように、仏教の教えは、現状に固執せず、常に新たな道を模索することの重要性を教えています。

これが、知事にとっても人生にとっても大切な教訓であり、その教えを受け入れることで、より良い未来が開けることを示唆しています。

 

私の感想

以上が菊谷さんの解説ですが、私から見ても斎藤知事は、

  • 「自分が正しい」という極端な思い込み
  • 自分の信念に対する執着
  • 知事職への執着

で、がんじがらめになり柔軟に身動きが取れなくなっています。

自分の経験から振り返っても、やはり自分自身が物事の渦中にあるときは、正確に状況を見ることができず、判断が狂いがちでした。

こういう時は、事態に距離を取って見てみる、身近な人でなく渦中の外にいて中立的な人の意見を聞いてみるなどしたほうがいいです。

斎藤知事の事例は、思い込みや執着が運命を暗転させることを示し、自戒になります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。