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仏教の知恵を日常に活かすー良い人が苦しみ、悪い人が栄える理由とは?

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私は市販の本やyoutubeなどで仏教を独学しています。

仏教の専門家ではありませんが、30代以降で仕事が上手く進まない、人間関係の悩み、経済的な悩みなど、生きることに行き詰まることが多くなった時、「仏教の知恵」に助けられたことがしばしばありました。

わたしにとって仏教は、死後の魂の救済よりも、「この俗世を生きるための知恵を授けてくれる」きわめて実用的な知恵の宝庫です。

私が仏教を学ぶためほぼ毎日視聴しているyoutubeをご紹介したいと思います。

菊谷隆太さんのYouTubeチャンネル(仏教に学ぶ幸福論 by 菊谷隆太 – YouTube)になります。

今回は、「よい人が苦しみ、悪い人が栄える理由とは」を題材にした動画をご紹介します。

 

この動画では、仏教の因果の教えを通して、世の中の理不尽に見える現象について解説しています。

よく耳にする「因果応報」とは、良い行いをすれば良い結果が、悪い行いをすれば悪い結果が来るという法則です。

しかし、現実にはこの法則がすぐに現れることがないため、悪い行いをしている人が栄え、誠実に生きている人が苦しむことがあります。

「なぜそのようなことが起こるのか」、仏教の視点から説明しています。

 

因果の道理

「因果の道理」とは、仏教における根本的な教えであり、すべての行いには必ず結果が伴うというものです。

良い行いをすれば良い結果、悪い行いをすれば悪い結果が訪れるとされています。

しかし、その結果がすぐに現れるとは限りません。

たとえば、悪い行いをしている人が一見栄えているように見える場合、それはまだその人の悪い行いの結果が熟していない状態に過ぎないとされています。

お釈迦様も「悪の報いが熟していない間は、悪人でも幸運に遭うことがある。しかし、やがてその報いが来る」と説いており、悪い行いの結果がいずれ訪れることを警告しています。

「因果の道理」が理解できれば、悪い人が一時的に栄えていることに対して不満や憤りを感じることはなくなります。

今はその結果が現れていないだけで、いずれ必ず悪い結果が訪れると知っていれば、心の中で安心できるのです。

仏教の教えでは、悪い行いをすれば、その結果は必ず自分に返ってくるという因果応報の法則が働いています。

 

良い行いが報われない理由

良い行いをしているにもかかわらず、結果がすぐに現れないことはしばしばあります。

このことを理不尽に感じる人も多いかもしれませんが、それは「因果の道理」を十分に理解していないためです。

仏教では、良い行いを続ければ、いずれその結果が必ず訪れるとされています。

それが今すぐ現れなくても、必ず報われる時が来るのです。

お釈迦様は「この世で良いことをしたならば、安心して待て。たとえその行いが昔行われたものであっても、遠い場所で行われたものであっても、必ず結果が帰ってくる」と述べています。

また、良い行いをしたにもかかわらず、結果が現れないからといって失望する必要はありません。

種をまけば、いつか必ずその種は芽を出し、花を咲かせるという考え方が仏教の教えの根幹にあります。

したがって、誠実に生きている限り、その結果が遅れてもいずれ良い結果がもたらされるということを信じて、行いを続けることが大切です。

 

孔子の嘆き

孔子の弟子であった顔回は、非常に優れた人物であり、徳を重んじる生活をしていました。

しかし、彼は若くして亡くなり、一生貧乏で苦労の多い人生を送りました。

これに対して、同時代に生きていた盗跖という大泥棒は、悪行を重ねながらも裕福で長寿を全うしました。

この二人の人生を見た孔子は、「天は我を滅ぼせり」と嘆きました。

善人が早世し、悪人が栄える現実に孔子も理不尽さを感じたのです。

しかし、仏教の教えによれば、因果の通りは三世(過去世、現世、未来世)を貫いて働いています。

現世での苦しみは、過去世の悪い行いの結果であり、逆に悪人が現世で栄えているのは過去世での良い行いの結果かもしれません。

顔回が若くして苦労したのは、過去世での悪行の結果であり、一方で盗跖が裕福であったのは、過去に良い行いをした報いが現れたということです。

仏教では、現世だけを見て結果を判断するのではなく、三世にわたる因果の連鎖を理解する必要があります。

 

愚痴と妬みの心

人が他人を妬んだり憎んだりする感情は、仏教では「愚痴」と呼ばれます。

愚痴とは、因果の通りを理解していない無知から生じるものであり、仏教では非常に害のある心の状態とされています。

妬みや憎しみの感情は、相手が良い結果を得ていることに納得できないために生じます。

しかし、仏教の教えでは、その人が良い結果を得ているのは過去に良い行いをした結果であり、悪い行いをしているならいずれ悪い結果が訪れるため、妬む必要はないのです。

また、悪い結果が自分に訪れた場合も、それは自分の過去の行いが原因であり、他人を責めるのではなく、自分の行いを見直すことが重要です。

これを受け入れることができれば、他人を憎む気持ちは消え去り、自己反省ができるようになります。

「因果の道理」を理解し、自分の行いに責任を持つことが、心の平安を保つために不可欠です。

 

長期的な視野で因果の法則を理解する

仏教では、因果の法則は過去世、現世、未来世にわたって働くとされています。

私たちが今生きている現世だけを見て、すべての結果を判断しようとするのは、非常に短絡的な考え方です。

現生の短い期間だけでなく、もっと長い三世(過去世、現世、未来世)で因果の道理が働いていると理解することが必要です。

良い行いがすぐに報われなくても、未来世でその結果が現れる可能性があるという視点を持つことで、焦りや不満を感じずに安心して善行を続けることができます。

私たちは、今の瞬間だけでなく、三世にわたる因果のつながりの中で生きているという仏教の教えを受け入れることで、目の前の現象に左右されずに生きることができるのです。

 

まとめ

今回の動画では、「なぜ良い人が苦しみ、悪い人が栄えるのか?」という疑問について、仏教の因果の法則を通じて解説が行われました。

現実では、悪い行いをしている人が一時的に成功し、良い行いをしている人が報われないこともありますが、それは単に因果の法則がすぐに現れていないだけにすぎません。

仏教では、三世にわたる因果の法則を信じることで、短期的な結果にとらわれずに生きることが大切であると教えられています。

善行を続ければ、必ずその結果は訪れるという信念を持つことが、私たちの心を平安に導く道となります。

逆に、他人を妬んだり、憎しんだりする心は、因果の法則を理解していない「愚痴」の状態であり、それがさらなる不幸を招く原因となります。

私たちは、仏教の教えを通して、目先の現象に惑わされず、長期的な視野で因果の道理を理解し、安心して善行を続けることが大切です。

今回の話は、現実の世界での理不尽さに対する心の持ち方を見直すきっかけを与えてくれる内容であり、他人との比較ではなく、自分自身の行いに誠実であることの大切さを強調しています。

この教えを理解することで、私たちは心の中の妬みや憎しみを捨て、平和で安定した心を保ちながら生きていくことができるようになるでしょう。

仏教の因果応報の教えをしっかりと心に留め、他人に対して妬みや憎しみを抱くのではなく、善行を積み続けることが自分自身にとって最善の道であることを理解することが大切です。

 

私の感想

因果の道理は三世(過去世、現世、未来世)で働くことを受け入れると、現世の理不尽や不平・不満から抜け出すヒントになると思います。

とにかく、「見返りを求めず良いことを積み重ねること、理不尽にも腐らず努力すること」が大切であると思います。

また、「現世で報われなくても来世で報われる、自分が報われなくても子供や孫が報われる」こういう考えを受け止めることで、心が幾分か平穏になると思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。