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仏教の知恵を日常に活かすー仏教の原点、諸行無常とは?

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私は市販の本やyoutubeなどで仏教を独学しています。

仏教の専門家ではありませんが、30代以降で仕事が上手く進まない、人間関係の悩み、経済的な悩みなど、生きることに行き詰まることが多くなった時、「仏教の知恵」に助けられたことがしばしばありました。

わたしにとって仏教は、死後の魂の救済よりも、「この俗世を生きるための知恵を授けてくれる」きわめて実用的な知恵の宝庫です。

私が仏教を学ぶためほぼ毎日視聴しているyoutubeをご紹介したいと思います。

菊谷隆太さんのYouTubeチャンネル(仏教に学ぶ幸福論 by 菊谷隆太 – YouTube)になります。

このチャンネルでは、仏教の中でも親鸞聖人の教えを基にした浄土真宗の教義や、人生の悩みに対する仏教的な解釈を分かりやすく解説しています。

特に、仏教になじみのない初心者にも理解しやすい内容が特徴で、浄土真宗の基本的な考え方や信仰の重要性について、動画を通して深く学ぶことができます。

信仰の実践を通じて、人生の困難や疑問に向き合うためのアドバイスや知識を提供しています。

今回は、「諸行無常 仏教の原点」を題材にした動画をご紹介します。

 

内容を4つの点で整理してみました。

動画をご覧いただく前に、概要を確認していただけますのでお読みください。

  1. 諸行無常の教えとその意義
  2. 諸行無常への感情的な葛藤
  3. 諸行無常に対する3つの態度
  4. 諸行無常の受け入れと阿弥陀仏の本願

諸行無常の教えとその意義

菊谷さんは、「諸行無常」という仏教の中心的な教えが、すべてのものが常に変化し、最終的には消えていく運命にあることを示していると説明します。

この教えは、私たちの日常生活において重要であり、人生のすべての出来事や人間関係が変わり続けるという現実を受け入れることを求めています。

諸行無常は仏教の出発点であり、すべての仏教的な学びや修行の基盤となる教えです。

これを理解することが、仏道を求める最初の一歩であり、人生を豊かにするための重要な知恵となると彼は述べています。

菊谷さんは、ある相談者からの質問を紹介し、諸行無常が受け入れがたいという感情を持つ人々が多いことに触れます。

相談者は、祖母との愛情深い思い出に強く執着し、過去に戻りたいという切望を抱いています。

これは、諸行無常の教えがどれほど悲しく、また受け入れるのが難しいものであるかを示しています。

しかし、菊谷さんは、このような感情は人間らしいものであり、特に愛情深く優しい心の持ち主が抱きやすいものであると述べています。

 

諸行無常への感情的な葛藤

菊谷さんは、諸行無常がもたらす感情的な葛藤についてさらに詳しく説明します。

彼は、人間は大切なものや愛する人々を失うことに対して、強い恐怖や悲しみを感じるのは当然であり、誰もが経験することだと述べます。

相談者が特に強く感じている「過去に戻れない」という喪失感や「いつか愛する人がいなくなることへの恐れ」は、私たちが無常の現実と直面したときに感じる普遍的な苦しみです。

菊谷さんは、仏教の教えに基づいて、すでに失われたものに戻ることができないという事実を受け入れる重要性を強調します。

どれほど願っても、過去の愛する人々や出来事は取り戻せません。諸行無常の厳粛な現実を理解し、失われたものに執着しないことが、心の平和を得るための第一歩であると説きます。

また、仏教の教えにおいて、死が避けられないものであり、それがどれほど突然訪れるかを示す「白骨の章」という教えを引用し、無常の風が吹くことで人々の命が消えていく様子を描写します。

 

諸行無常に対する3つの態度

菊谷さんは、諸行無常に対して私たちが取ることのできる3つの態度を紹介します。

第一は、「背ける」ことであり、これは無常の現実を直視せず、目を逸らそうとすることです。

しかし、このアプローチは現実逃避であり、無常という真実からは逃れられないと述べます。

第二は、「抗う」ことで、これは無常に逆らい、過去を取り戻そうとしたり、未来の喪失を避けようとすることを指します。

しかし、人生は一方通行であり、時間を逆戻りさせることはできません。

過去に戻りたいという願望は理解できるものの、それは不可能であり、抗うことは無意味であると彼は述べます。

第三の態度は、「受け入れる」ことであり、これは無常を肯定し、それを前提に生きていくことです。

このアプローチは仏教的な悟りへの道を示しており、変化を避けられない現実として受け入れ、今を大切に生きることができるようになります。

菊谷さんは、まだ失われていないものに感謝し、それを大切にすることが、無常を受け入れる生き方であると説明します。

 

諸行無常の受け入れと阿弥陀仏の本願

菊谷さんは、親鸞聖人の教えにおいて念仏がどのように無常を受け入れる助けとなるかについても説明します。

この親鸞聖人の教えでは、念仏は仏の本願を受け入れる行為であり、これによって人々は無常の世界における本当の救いを見出すことができるとされます。

菊谷さんは念仏を唱えることで、私たちは無常の現実と自分自身の煩悩を受け入れ、執着を手放す道を進むことができると説きます。

そして、私たちが諸行無常の世界に住んでいること、そして煩悩によって執着し、失いたくないものにしがみついてしまう人間の性質を説明します。

仏教の教えは、その執着を少しでも減らし、無常を受け入れて生きるための知恵を提供します。

さらに、彼は親鸞聖人の教えにおける「煩悩具足の凡夫」という概念についても触れ、私たちが執着や欲望に満ちた存在であることを指摘します。

この煩悩によって、無常を受け入れることが難しくなり、失うことへの恐怖や悲しみが強くなるのです。

しかし、念仏を通じて阿弥陀仏の本願に触れることで、私たちはその執着を手放し、無常の世界でも心の平安を見つけることができるとされます。

 

まとめ

菊谷さんは、仏教の根本的な教えである「諸行無常」が、人生のあらゆる側面において変化を受け入れる重要性を強調しています。

過去に戻ることはできず、未来に何が起こるかも分からない中で、諸行無常の現実と向き合うことが、心の平安を見つけるための第一歩です。

人間はしばしば変わりゆく現実に抗い、過去に執着しますが、仏教の教えはそれを乗り越えるための道を示しています。

念仏を通じて仏の本願に触れることで、無常を受け入れ、執着を手放すことができ、心の安らぎを見つけることができるのです。

 

私の感想

諸行無常の考え方は、目の前の現実が移り変わっていくものであり、永遠には続かないことを教えています。

例えば、辛いことや、ストレスフルな人間関係、ブラックな会社での労働などは固定したものでなく、変化することを示唆しています。

もちろん、自分が何もせず状況が変化するのを待つだけでは、自分を取り巻いている現実が変化していかないこともあると思います。

菊谷さんは、親鸞会の仏教講師なので親鸞聖人の教えである阿弥陀仏の本願(他力本願)に頼ることを説きますが、私はこれは選択肢の一つであると考えます。

私は宮本武蔵の「神仏は敬えども、頼らず」という言葉に賛同しています。

俗世を生きる身としては、「諸行無常を受け入れ、神仏を敬って心を安定させ、自力で努力していく」、今の私の指針です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。