本名・寺島眞秀(てらじま・まほろ)さんが、尾上眞秀(おのえ・まほろ)を襲名しました。
寺島眞秀さんといえば、女優の寺島しのぶさんとフランス人の父親を持つハーフで
す。
実は、日仏ハーフの歌舞伎役者は初めてなんです!
そのことでも寺島眞秀さんは注目を浴びています。
現在寺島眞秀さんは10歳です。
寺島眞秀さんは歌舞伎界で異色のハーフとはいえ、実は歌舞伎系のご家族に恵まれています。
というのも、寺島眞秀さんは尾上菊五郎(おのえ・きくごろう)さんの孫にあたるのです。
尾上菊五郎さんといえば、日本で有名な歌舞伎役者の一人です。
歌舞伎名跡「尾上菊五郎」の現在の当主であり、屋号は音羽屋(おとわや)です。
家によって決まっている紋章である定紋(じょうもん)は重ね扇に抱き柏、替紋は四つ輪です。
尾上菊五郎さんは日本芸術院の会員であり、人間国宝の重要無形文化財「歌舞伎立役」の保持者でもあります。
寺島眞秀さんは俳優の寺島しのぶさんの長男としても知られ、5月2日には東京歌舞伎座で初めて舞台に立ちました。
2日の公演では、菊五郎さんが演出を担当した、安土桃山時代の英雄である岩見重太郎の活躍を描いた「音菊眞秀若武者」を演じました。
尾上眞秀のプロフィール
尾上眞秀さんは2012年9月11日に誕生しました。現在10歳です。
寺嶋眞秀さんは歌舞伎役者として知られています。
彼は東京都出身、アプティパに所属しています。
初代尾上眞秀さんとしても話題になりました。
尾上眞秀さんの父親は、フランス人のアートディレクターであるローラン・グナシアさん、母親は女優の寺島しのぶさんです。
さらに、叔父は五代目尾上菊之助さんであり、祖父は七代目尾上菊五郎さん、祖母は女優・司会者の富司純子さんです。
このような芸能一家に恵まれていることもあり、尾上眞秀さんが歌舞伎界に進出するのも自然なことだったのです。
尾上眞秀さんは、2023年5月恒例の「團菊祭五月大歌舞伎」で初代尾上眞秀を名乗りました。
この初舞台で正式に一般客へお披露目したのです。
これを機に、尾上眞秀さんは歌舞伎役者としての地位を確立し、今後ますます活躍されると考えられるでしょう。
尾上一門(音羽屋)の家系
尾之上一門(音羽屋)は、ものすごい豪華な家系です!
音音羽屋は歌舞伎役者の屋号であり、その名称は京都の清水寺境内にある「音羽の滝」に由来しています。
初代・尾上菊五郎の父である半平さんは、京都の都萬太夫座(みやこまんだゆうざ)に付属する芝居茶屋を経営していました。
とはいえ、半平さんが生まれたのは東山の清水寺にほど近い場所でした。
そこにある「音羽の滝」の名にちなみ、自分自身を「音羽屋半平」と名乗ったため、この屋号が生まれたのです。
音羽屋は男女両方の役を演じ、世話物や妖怪変化のある舞踊劇を得意としています。
また、音羽屋宗家の定紋は「重ね扇に抱き柏」で、白波五人男が有名です。
現代の音羽屋で有名な歌舞伎役者には、
・五代目尾上菊之助
・二代目尾上右近
・二代目尾上松也
などがいます。
特に二代目尾上松也さんと二代目尾上右近さんは、若手イケメン歌舞伎役者として人気が高いです。
【家族構成】
尾上眞秀さんは、歌舞伎界で最も有名な音羽屋の役者の一人といえます。
そんな日本を代表する歌舞伎界の一門の家系図に興味を持つ方も多いでしょう。
その家族構成を見てみると、本当に豪華で素晴らしいのです。
尾上眞秀さんの叔父にあたる尾上菊之助さんの祖父・七代目尾上梅幸さんは、1948年に襲名しました。
彼は文部大臣賞を受賞し、重要無形文化財保持者に認定されるなど、多大な功績を残しました。
尾上菊之助さんの父親にあたる七代目尾上菊五郎さんは、1948年に五代目尾上丑之助を襲名し、初舞台に挑みます。
その後、1965年に四代目尾上菊之助を襲名し、1973年に七代目尾上菊五郎を襲名しました。
菊五郎さんは重要無形文化財保持者に認定されるなど、現代歌舞伎のスターとして活躍しました。
尾上菊之助さんの母親は女優の富司純子さんです。
1972年に現・七代目尾上菊五郎と結婚しました。
多くの作品に出演し、多数の賞を受賞しています。
情報番組やバラエティ番組の司会者としても活躍し、多くの人から愛されています。
尾上眞秀さんの母親にあたるのが、女優の寺島しのぶさんです。
日本の舞台、ドラマ、映画など多くの作品に出演しています。
2007年にフランス人アートディレクターの男性と結婚し、2012年には尾上眞秀が誕生します。
ハーフの歌舞伎役者は初めて?
結論からいうと、日仏ハーフの歌舞伎役者は歌舞伎役者としては初めてです。
そもそも「ハーフ」の歌舞伎役者は初めてのような気がするでしょう。
ハーフの歌舞伎役者って、確かにあまり聞いたことないですよね。
とすると、やはり初代尾上眞秀さんは歌舞伎界初のハーフ役者ということになるのでしょうか!?
歌舞伎界のハーフ役者は前代未聞かと思いきや、実はほかに一人、アメリカと日本のハーフ役者がいらっしゃいました!
日米ハーフの歌舞伎役者は、十五代目市村羽左衛門(いちむら・うざえもん)さんです。
本名は市村 録太郎(いちむら ろくたろう)。
15代目市村羽左衛門さんは日米ハーフということもあってか、目鼻立ちがくっきりして美貌が際立っていました。
十五代目市村羽左衛門さんは明治7年(1874年)に東京で生まれ、4歳の時に14代目市村羽左衛門に養子に出されました。
羽左衛門さんの父親は、仏系米国人のチャールズ・ルジャンドルさんです。
チャールズさんは明治新政府の外交顧問として、台湾政策に大きな影響を与えた人です。
一方で、母親の池田イトさんは、幕末四賢侯の一人である元越前藩主・松平慶永(春嶽)の庶子でした。
つまり十五代目市村羽左衛門さんは日本とアメリカのハーフです。
父親はフランスの血も入っているためフランス人クォーターでもあるということになります。
十五代目市村羽左衛門さんはその美貌もあり、成長するにつれて大人気の役者となりました。
従って、初代尾上眞秀さんは「初のハーフ歌舞伎役者」というわけではなく、前例がありました。
歌舞伎ファンからすると驚きはないでしょうが、十五代目市村羽左衛門さんが日米ハーフの歌舞伎役者として前例を作っていたのです。
尾上眞秀が襲名後初の舞台(5月2日)
10歳の歌舞伎俳優、初代尾上眞秀さんは、5月2日に東京・東銀座の歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」の昼の部「音菊眞秀若武者(おとにきくまことのわかむしゃ)」で、初舞台に臨みました。
襲名後、初の舞台となります。
今回の舞台は尾上眞秀以外にも、祖父にあたる人間国宝の尾上菊五郎(80)、平成の三之助として人気を集めてきた市川團十郎(45)、尾上菊之助(45)、尾上松緑(48)ら超豪華な役者がそろいました。
劇場には外国人の観客も来場しており、日仏ハーフの歌舞伎俳優が誕生する歴史的瞬間を見守りました。
歌舞伎の殿堂は新たに10周年を迎え、パリのオペラ座に早変わりしたかのような国際色豊かな雰囲気に包まれていました。
尾上眞秀さんの母親で女優の寺島しのぶさん(50)と、フランス人アートディレクターのローラン・グナシアさんは着物姿で正面入り口に立ち、外国人の観客を出迎えました。
シャネルがスポンサーとなって製作された祝幕が舞台を彩り、カメラを向ける観客の姿があちこちで見られました。
まとめ
日仏ハーフの尾上眞秀さん。
5月2日の襲名後初の舞台では、歌舞伎役者として本格的に歩み出した眞秀さんの門出を祝うような演出もありました。
拍手とともに「音羽屋!」「眞秀!」と歓声が飛び交い、大盛況のうちに初日舞台を終えました。
今後のご活躍に期待したいですね!